2011年3月11日、東日本を襲った大震災と、それによって引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、福島は地震と津波の被害に加え、放射能汚染という未曾有の事態に見舞われました。
その福島出身/在住の音楽家と詩人を代表とし、集まった福島県内外の有志によって、「プロジェクトFUKUSHIMA!」は立ち上げられました。
大きな震災の2ヶ月後、わたしたちは福島からこんな宣言を出しました。
2011年8月15日、福島で、音楽を中心としたフェスティバルを開催します。
また、これをきっかけに様々なプロジェクトを長期的に展開していきます。タイトルは「FUKUSHIMA!」。
「ノーモアフクシマ」でも「立ち上がれフクシマ」でもなく、なんの形容詞もつかない「FUKUSHIMA」。現在の、ありのままの福島を見つめることから始めたい。 そんな思いで、福島で生まれ育ったゆかりの音楽家や詩人らの有志が集まりました。
地震や津波の被害のみならず、解決の見通しの立たない原子力発電所を抱える現在 の福島では、フェスティバルどころではない、という意見もあるかもしれません。
それでも、いやそんな時だからこそ、現実とどう向き合うかという視点と方向性を 人々に示唆する力を秘めている音楽や詩やアートが必要だと、わたしたちは信じて います。不名誉な地として世界に知られたFUKUSHIMA。 しかし、わたしたちは福島をあきらめません。 故郷を失ってしまうかもしれない危機の中でも、福島が外とつながりを持ち、福島で生きていく希望を持って、福島の未来の姿を考えてみたい。 そのためにも、祭りが必要です。人々が集い、語らう場が必要です。
フェスティバルを通して、いまの福島を、そしてこれからの福島の姿を、全世界へ向けて発信していきます。 FUKUSHIMAをポジティブな言葉に変えていく決意を持って。
2011年5月8日
プロジェクトFUKUSHIMA! 実行委員会
和合亮一/遠藤ミチロウ/大友良英
それから毎年、8月15日という日本人にとって特別な意味のある日に、福島でフェスティバルを開催しています。
初年度は特に、故郷を失ってしまうかもしれない危機の中、せっぱ詰まった空気がありました。「未来は私たちの手で」というテーマのもと、専門家でもないわたしたちが自ら会場の放射線量を測り、各地から集まった布を縫い合わせた色とりどりの大風呂敷で6000㎡の広大な芝生を覆って開催した音楽フェスティバル。県内外から1万を越える人々が集まりました。
2回目になる2012年には「Flags Across Borders」をテーマに、大風呂敷を「旗」に作り替え、福島の街にまちまちな模様の旗を1本1本掲げました。除染か避難か、推進か反対か、あらゆる局面で分断が見られる福島の状況を受けてのテーマでした。
そして3回目になる2013年は「納涼!盆踊り」。オリジナルの盆踊り「ええじゃないか音頭」を生演奏で踊りました。決して現状肯定する音頭ではありません。むしろ、痛切な批判がこめられています。踊ることの楽しさは人間の生きる本能を刺激するのでしょう。福島市の会場に複数建てた櫓の周りを、5千人がうねるように踊り、唄い、演奏しました。
続く2014年も盆踊りを開催。毎年フェスティバルのあり方を模索してきた私たちにとっては初めて、前年と同じ形での開催となりました。福島での夏の盆踊りは、今後も続けていきたいと思っています。
不名誉な地として世界に知られたFUKUSHIMA。しかし、わたしたちは福島をあきらめません。福島が外とつながりを持ち、希望を持って福島の未来の姿を考えてみたい。そのためにも、祭りが必要です。人々が集い、語らう場が必要です。FUKUSHIMAから生まれる文化が、生きていく原動力になっていくとわたしたちは信じています。
プロジェクト発足以来、毎年8月に福島での「フェスティバルFUKUSHIMA!」開催のほか、インターネット放送局「DOMMUNE FUKUSHIMA!」の運営、学びの場となる「スクールFUKUSHIMA!」などの活動を継続。震災から10年以上経った今、プロジェクトは福島のみならず各地で展開されています。2024年には、これまでの活動をまとめた書籍「福島大風呂敷 FUKUSHIMA O-FUROSHIKI」と、1年目の活動を追ったドキュメンタリー映画のDVD「ドキュメンタリー プロジェクトFUKUSHIMA!」を発行しました。
FUKUSHIMAをポジティブな言葉に変えていく力を貸してください。一緒に大風呂敷を広げて「ええじゃないか音頭」、踊りましょう。
山岸清之進
プロジェクトFUKUSHIMA!代表/ディレクター。
1974年福島市生まれ。高校卒業まで福島で育つ。大学・大学院でメディアアートを学び、国内外で作品を発表しながら、番組制作などメディアコンテンツの企画・制作を行う。番組出演をきっかけに交流が始まった福島育ちの音楽家・大友良英と震災直後から連絡を取り合い、プロジェクトFUKUSHIMA!の立ち上げに参加。2011年のフェスティバルがつくられる過程をNHK「ETV特集 希望をフクシマの地から〜プロジェクトFUKUSHIMA!の挑戦」としてドキュメンタリーにまとめた。以降も中心的なメンバーの1人としてプロジェクトに関わり、2015年からは代表を務める。
2006年から鎌倉で地域の仲間とともにクリエイティブチーム「ROOT CULTURE」を立ち上げ、舞台作品の制作や、地域資源を活用した文化交流・発信拠点づくりの活動も行っている。photo by NOJYO
メッセージ From 山岸清之進
遠藤ミチロウ
音楽家。1950年福島県二本松市生まれ。 日本のロックシーンに衝撃を与えた伝説のパンクバンド、ザ・スターリンの中心人物として1982年にアルバム『STOP JAP』にてメジャーデビュー。その強烈な存在感とカリスマ性で圧倒的な支持を集め、一世を風靡する。1985年にバンドを解散してからは、ソロアーティストとしてのキャリアをスタート。アコースティックギターを抱え、毎年全国150ヶ所以上をツアーしている。並行して3つのアンプラグド・パンクバンド、M.J.Q、TOUCH-ME、NOTALIN’Sでも活動中。
メッセージ From遠藤ミチロウ
大友良英
ギタリスト/ターンテーブル奏者/作曲家/映画音楽家/プロデューサー。 1959年横浜市生まれ。十代を福島市で過ごす。ONJT、Double Orchestra、幽閉者、 FEN等、常に複数のバンドを率い、またFilament、カヒミ・カリィ、I.S.O.、音遊びの会、 Emsegency! 等、数多くのバンドやプロジェクトに参加。常に同時進行かつインディペンデントに 多種多様な作品をつくり続け、その活動範囲は世界中におよぶ。 ノイズやフィードバックを多用した大音量の作品から、音響の発生そのものに焦点をあてた作品に至るまで その幅は広く、ジャズやポップス、歌をテーマにした作品も多い。映画音楽家としても 田壮壮監督『青い凧』等の中国映画、相米慎二、安藤尋、足立正生、田口トモロヲといった 日本を代表する映画監督の作品、横浜聡子等若手監督の作品、テレビドラマ、CFの音楽等、 数多くの映像作品の音楽を手がけ、その数は60作品を超える。 近年は「アンサンブルズ」の名のもとさまざまな人たちとのコラボレーションを軸に展示する音楽作品や特殊形態の コンサートを手がけると同時に、障害のある子どもたちとの音楽ワークショップや一般参加型のプロジェクトにも 力をいれている。 著書に『MUSICS』(岩波書店)、『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房新社)、『ENSEMBLES』(月曜社)等がある。
メッセージ From 大友良英
和合亮一
詩人。1968年福島市生まれ。 第1詩集『AFTER』(1998年)で第4回中原中也賞受賞。第4詩集『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞受賞(2006年)。中国青海省国際詩祭(2007年)にて日本代表詩人に選出される。日本経済新聞誌上等にて「若手詩人の旗頭的存在」と目される。全国で講演・パフォーマンス・ワークショップ等多数。震災以降、Twitterアカウント(@wago2828)にて「詩の礫」と題した連作を発表し、大きな反響を呼んでいる。
メッセージ From 和合亮一
マダムギター/長見順
ブルースギタリスト/シンガーソングライター
ギタリストとして黒人ブルースマンのバックを務めながら数々のマダムソングを作り、理論を超越したギタープレイと、妄想を暴走させた歌詞が絶賛を浴びる。日本酒と刺身が好き。福島市高湯温泉在住。(photo by jibiki)
岡地曙裕
ブルースドラマー
『吾妻光良&スィンギンバッパーズ』『ブレイクダウン』『ボ・ガンボス』等のグループで活動。
オーティス・ラッシュ、シル・ジョンソン、ネビル・ブラザーズ、ボ・ディドリー、B.Bキング等のライブ、レコーディングに参加。 (photo by nonomura)
ASA-CHANG (ASA-CHANG&巡礼)
プロジェクトFUKUSHIMA! 実行委員 兼 浜通り旗ふり隊長
ニンゲンは音楽をつくりました。そしてニンゲンは原子力もつくりました。
今こそニンゲンの”良いチカラ”を、神さまに試されている気がしてなりません。
ロゴマークについて
フキダシのように見えるロゴマーク。フキダシの中に、言葉を書くか、絵を描くか、それは使う人に委ねられています。フキダシ自体の色も様々。平面的にも、少し立体的にしても使うことができます。その中には、福島から発せられる様々なメッセージが入るのかもしれません。あるいは、日の丸からなにか異物が飛び出しているようにも見ることができます。解釈も使い方も自由。
また、赤い円の周りを放射線状に伸びる赤と黒のラインが取り囲むマークも、プロジェクトのシンボル的なマークです。黒と赤の境目は、これから事態が進行あるいは回復するに従って、時計の針が進むように移ろいゆくようにも感じます。様々な意味あいを込めたロゴマークを、プロジェクトに深く賛同するアーティスト・宇川直宏氏がデザインしました。
「プロジェクトFUKUSHIMA!」の活動は、さまざまな方々の無償のご協力と、地方自治体やその他の団体などからの助成金で成り立っています。
みなさまのご理解とご協力を、どうぞよろしくお願い致します。